宇都宮美術館

いまいるところ/いまいるわたし展

「VOKAに映し出された現在 いまいるところ/いまあるわたし」展
2006年7月9日〜9月18日
公式サイト:http://u-moa.jp
やなぎみわ レクチャー 映画「砂女」上映+「美術と物語」
7月22日午後2時より

絵画を志す美術家(おもに平面作品)にとっての登竜門として、94年から、東京は上野の森美術館で開催されているVOKA展。そのVOKA展の、これまでの受賞作品を集めた展覧会が、この「いまいるところ/いまいるわたし」展です。
…ですが。今回私が注目したのは、午後2時より開催される、やなぎみわさんの講演会ですっ!やなぎさんと言えば、去年の原美術館ですっかりファンになってしまい、また作品を見てみたいと思っていたところだったんですが、まさか本人に直接お会いする機会が来ようとは!
メインとなるVOKA展は、ほぼ斜め見の状態(失礼)で、さっさと切り上げ、講演会の開場の、15分前から並んで待っていました。
今回は、原美術館で公開された映像作品「砂女」の上映もあり、期待いっぱいです。

今回のレビューは、私が開場で書いてきたメモを元に書いていますが、なにぶん書き写す段になって、私自身の主観も入ってしまい、全部が全部やなぎさんのそのままの言葉じゃないですので、その点よろしくお願いします。

開場は宇都宮美術館の講義室。そのまんま大学の講義室のような作りです。
館長さんのご紹介と共にいらっしゃった、やなぎさんは…ぱっと見は、なんとなく外資とかの商社でバリバリ働く敏腕OLって感じでした。
講演は、過去の作品をスライドで振り返りながら一つ一つ解説していくもの。時間的な制約もあり、VOKA展出品作品の「エレベーターガール」は飛ばして、その後の作品、「マイグランドマザーズ」、「グランドドーターズ」「マダムコメット」そして「フェアリーテイル」の解説から始まります。
本当は、壇上でパソコンを操作しながら…という講演のはずが、どうもケーブルが足りなかったらしく、客席の中央に置かれたプロジェクターの横に座って、パソコンを操作しながら説明するという形になってしまいました。その後も、このパソコンに泣かされるはめに…。
マイグランドマザーズ 2000年から現在まで作られている作品。若い女性の、50年後の未来を本人から語って貰い、その情景を、語る本人の50年後の姿を特殊メイクにて表現し、重ね合わせる作品。応募してくる方は、40代から11歳まで幅広く、男性もいるという。実は作品のなかに、やなぎさん本人が出演しているものもあるとのこと。どの作品かは…秘密だそうです。
グランドドーターズ おばあちゃんが、自分のおばあちゃんの事を語り話す映像作品。生まれ故郷をバックに、ニュースキャスターのように語りかける。さまざまな国籍、年齢のおばあちゃん達が登場するが、その声は、公開している国の小中学生がアテレコしている。
フランスで開催された時は、フランスの小学生。日本で開催された時は、日本の中学生が一人一おばあちゃんになって声をあてています。
フェアリーテイル グリムやアンデルセンの童話を題材として、老婆と少女が登場する物語を写真に納めた作品。8〜10畳の部屋に、少女と、特殊メイクを施し、老婆の顔にした少女を対比させる。二人は、激しく争ったり、融合したり、嗜虐的だったりする。やなぎさんいわく、子供部屋をのぞき見ているような作品。
マダムコメット 掛け軸仕立てに仕上げた写真作品。ほうきを題材に、少女に老婆の顔になるよう特殊メイクを施し、媼、魔女、メイドの格好をした少女が、掃き清める、掃きちらす、掃き集めるを意味するポーズを取っている。

それぞれの作品の制作風景やメイクした方とのやりとりなど、撮影の裏話を混ぜつつの解説でした。

そして物語について。
グランドマザーズとグランドドーターズはそれぞれ、他人の物語を収集する目的があり、グランドマザーズは、他人の未来の物語を。グランドドーターズは、他人の過去の物語を聞いて回るというスタンス。

やなぎさんが美術大学を卒業した当時の話。ちょうどバブル末期。周りに同じ美大生がいてもあまり話をしない。隣で作品を作っていても声をかけない。しかも、先輩達が酒の席で、美術談義をすることが「ダサイ」と思われていた時代。自分の世界に入り込むのがクールだったそうです。
その上で、物語がつまらないモノという風潮。作品を堕落させるモノでしかないという考え。物語を排除し、作品として自立するモノだけがすばらしいと思われていたそうです。
その頃からの人々は、自分の半径2mくらいの人間関係と、大きなファンタジーの両方を行き来していて、中間がない存在だと、やなぎさんは言います。
小さな人間関係。でも心の中ではファンタジーを望んでいる。国連軍に所属していたり、ロケットに乗ったり、ロボットに乗ったり。やなぎさんの口からも、「ほしのこえ」や「エヴァンゲリオン」など具体的な例もでました。自分と、壮大なファンタジーを言ったり来たりしている。それは、ややこしいことをすべてすっ飛ばしてしまいたいという気持ち。グランドマザーズで、いわゆる中年の世代が作品として上がってこないのも、フェアリーテイルが老人と少女の両極端のみで構成されているのも、ややこしいことをすっ飛ばしたいから。人生の真ん中、社会性そのものがめんどくさいモノという価値観と、少女や老人の持つ無垢さ、イノセントさに対するあこがれ。
そしてやなぎさんは言います。自分の好きなモノにさよならを言う。それがカッコイイと。
文学作品は、同じ文学で批評できる。しかし、絵は、絵では批評できない。絵は言葉でしか批評できない。そのアンフェアなことを壊したいと。
そして今、物語は生み出され続ける。資本主義の本質に乗っ取った消費主義は、物語のコピーのコピーのコピーを次々とうみだし、サブカルチャーという言葉を生み出す。
消費を前提に生み出される厳しい世界から見て、美術家達は、彼らからみると、気ままに見えるだろうと。
そしてサブカルチャーと、近代、新しく入ってきた西洋美術は、ゆがみを生じ、描き手と受け手の見方、捉え方にもゆがみを生んでいると。
その中で学んできたこと。それが何処まで自分の血肉になっているのかと。
断片的でしたが、たくさんのお話がありました。

やなぎさんの作品は、閉鎖的に自己と空想を繰り返す現代人を、少し離れたところから見ていて、実はそれが、あまりカッコイイことではないのだと警鐘を鳴らしている…そんな印象を、今日の講演から受けました。

最後に、「砂女」の上映になるのですが…ここでパソコンのトラブル。お持ちいただいたDVDがプロジェクターで再生できず、結局、ノートパソコンのモニターをみんなで車座になってのぞき込むという上映会になってしまいました。まあ、トラブル回避の為に係の人が操作中、質問の時間が長く取れ、いろんな話が聞けたのは思わぬ収穫でしたけどね。

最後に館長さんから、「砂女」のDVDをやなぎさんからお借りできたので、展覧会の最終日、9月18日の午後2時から「砂女」だけの公開をするそうです。遠くから来た方には申し訳ありませんとの事でしたが…本当だよ〜!そんな何度も日程を合わせられないっス〜。