ロボットと人形と2

annon2007-12-01

流星ひかるさんの「それはロボット」購入。
それはロボット (アクションコミックス)

先月、「フラワーロボティクス展」を見た頃のモヤモヤが復活してもうた…。

某、ひんに…の頃から良く見ていた作者さんです。最近のコミックハイあたりでの連載には目を通していなかったんですが、単行本化されたこともあり、手にとって見ました。
レビューについてはid:makaronisanたまごまご)さんの所がものすごく詳しく書いているんで割愛しますが(笑)最近の私は、ロボット系に過剰に反応しているような気がします。

たまごまごごはんさん

「ロボットに性別があるのはなぜだろう。流星ひかる「それはロボット」」

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20071201/1196432150


ロボットと人間と、意志疎通ができるのか、友情や恋愛感情を持つ事は可能なのか。

でも、ふと考える。自分自身に意志があることは分かる。しかし、他人が自分と同じように意識を持って考え、行動していることを確かめることはできるのか。
自分が「そう」だから、他人も「そう」である…という前提条件だけで、判断しているのではないのか…。

自分以外の他人が、意識を持たず、プログラムのルーチンワークで行動しているとしたら…。

ただでさえ日本人は、人のちょっとした仕草に感情を見いだす術に長けている。
人形浄瑠璃の「文楽」は、人形の頭が可動しないにも関わらず、その傾き加減だけで、喜怒哀楽を表現する。
たたずんでいるだけの犬を、思慮深げだと思いこんだり、男が背中で語ることを美徳と讃えたりする。(コレは違うかな?)

草木、花など物言わぬ者達に神が宿ると信じ、長年使ってきた器物に神が宿ると信じている。意志を持ち、意志が通じると信じている。

人形やオモチャに人格を与え、友達として接してくれていると信じている。

それは…こちらが一方的に、感情を「ある」と認識して、勝手に読みとっているに過ぎないのではないか?
もしかして、今日会った人達も?

もし、ロボットが、人に擬似的な感情を読みとらせるために仕草をし、読みとった人が勘違いし…たとえば私が「君は悲しいのかい?」とロボットに問い掛けたとして、ロボットが「ハイ」と答えたら…。
そのことで、私が「やっぱり悲しいんだ」と勘違いしたら。
この一方的な感情の読み違いが、ロボットによって「ハイ」と肯定された場合、私自身はロボットに感情があると思いこんでしまう。例え、その返事がルーチンワークの一部だとしても。
…うまく言えないなあ。
意志が「ある」と見せる技術が高度に発展すれば、相手に意志があることを確かめられない「私」は、そこに意志があると勘違いするしかなくなる…と言うこと

実際、アニマルセラピーの為に開発されたゴマフアザラシ型のロボット(メンタルコミットロボットPARO)は実用化され、今年の国際福祉機器展には、猫型のロボットが出展されています。もちろん、老人ホームでの心理療法に使用するためですが、それは、私たち人間に、疑似意志を見せ、意志と疑似意志の「意志の疎通」が有効だと認められた。セラピーとして効果があると認められたということ。
このような疑似意志を、「意志がある」と見せるための技術が今後発展していけば…それは「意志がある」ということと変わらないんじゃないか…そんな風にも思います。回りくどい言い方だねw

ツンデレという疑似意志を、相手に思わせる技術が特化したメイドロボとかw開発される日も近いかも。