死んじゃうって事。


硫化水素とか、自殺の記事が目に付きますね。私は、当事者ではないので死にたくなるほどツライ目に遭うって気持ちは分かりません。
でも、もう一歩踏みとどまる気持ち。たとえば、ものすごい好きで好きでたまらない甘い物を食べてみるとか。そんなトコロからでもいいので、気持ちを切り替える事ができないものかなあ…なんて思います。
心は、辛くて辛くて仕方が無くても…もしかして、体は生きたくて生きたくて、必死になって生きようとしているかもしれません。食べたものは、内蔵が一生懸命栄養を取り出そうとするし、心臓は、どんどんと動いて、脳や体に栄養を送ってます。

楽な死に方、綺麗な死に方って、結局無いです。体が生きようとしている限り。生きたいって体を止める為には、ものすごい負荷をかける事。その反動で痕跡が必ず残ります。
棺に入って、フタを開けて…あまりの姿に直視して貰えなかったら。
死んでからも、直視して貰えないなら…こんなツライ事は無いです。

死んだら…結局のトコロ、葬儀屋が事務的に段取りをこなすし、あっと言う間にお葬式も終わります。さっきまで体があっても、あっと言う間に灰になって、お墓に入って、ハイおしまい。
ビックリするほどあっけないもんです。

残された人が…一番ツライのは、声の記憶が思い出せなくなること。顔や姿は、写真で思い出せるけど、声はダメね。声の記憶は、一つ二つのワードを繰り返し再生するだけで、すぐ思い出せなくなるね。

だから、生きている間に、声を出して欲しいね。記憶に止められるくらい。

死んじゃったら、人間じゃないよ。人間の姿じゃないよ。正直、どんなに親しい人でも長い間直視できないよ。
生きているんだったら。人間だよね。知らない人に会っても、ヘンに驚かれたりしないよね。人間の姿してるよね。

アプローチをしてくれれば、きっと答えてくれる人がいるよ。生きてるんだから。人間の姿をしてるんだから。
声を、出そう。