櫻井りえこ作品集

annon2009-03-26

櫻井りえこさんは、水戸芸術館で行われたグループ展「われらの時代」で初めて作品に出会い、この作品を見るために初めて水戸芸術館を訪れるようになった思い出の作家さんです。
この作品との出会いが無ければ、今後水戸芸術館に訪れることは無かったかもしれませんし、美術概念としての「マイクロポップ」という考え方に出会うことも無かったでしょう。

2005年に水戸芸術館で行われたグループ展「われらの時代」どちらかと言えば、水戸という地域を限定し、今後活躍の期待される若手作家さんのグループ展という面が強かった展覧会でしたが、櫻井さんの描く少女像に…なんというか、オタク心がくすぐられたんですよね。

この間のツェ・スーメイ展の時にミュージアムショップで買ったものなんですが、画集としては結構特殊な形をしてまして、A5の3方見開き、中央に画集、左に櫻井さん本人の寄稿文と水戸芸術館学芸員さんの紹介文をまとめたテキスト、右にミニポスターという構成になっています。


少女の絵が多いですね。瞳は大きく描かれ、それでいて絶妙のディフォルメで顔に収まっています。強い感情を浮かべ、射るように投げかける視線。その感情の浮かぶままに開かれた口。幼いながらも、きちんと肉を感じさせる体。アートでありながら、オタクコンテンツに慣れ親しんだ者にとっては、萌えの感情が浮かびますね。
でも、それは…うわべだけ。

生きていく上で、澱みのように溜まっていく思いや願い、
つよいうらみや、あてのない望みを画面に塗り込めています。
・作品集より櫻井りえこさんのコメント

櫻井さんのコメントにあるように、一見ポップで鮮やかな雰囲気を持つ少女像ですが、どことなく、気味の悪さ、焦燥感がこみ上げてきます。きつい彩色による点もありますが、あまりにも幼い、中性的で体の起伏の少ない少女たちが、大人同然の扇情さや、強い感情がこみ上げた顔をしています。そのギャップに、心が蝕まれます。
最初は、奈良美智さんに近い画風なんだな〜とか思ってたんですが、このザワザワ感は、草間彌生さんの水玉を見た時のエグさに似ています。単に「女の子がかわいい〜っ!」ってだけで見続けると、その毒の多さに、心が持って行かれそうになりますね。

とりあえず、勝手にイメージ

学芸員の浅井俊裕さんが、櫻井さんの少女像もアニメの影響だと短絡的に語られる事を危惧している…と紹介文にのせていますが、近年の若手作家がアニメやゲームなどのディフォルメされた人間像をよく描くことは事実ですし、タカノ綾さんや、國方真秀未さんなどカイカイキキのメンバーなんかは、積極的にオタクコンテンツとの融合を図っているようにも見られます。(私の主観ですよ?)櫻井さん自身もGEISAIに作品を出展してますしね。
確かに、オタクから見れば、安易にこちら側のコンテンツを模倣していると捕らえてしまいがちですが、オタクコンテンツのほとんどは、消費することに特化した「使い捨ての文化」であり、大量のコピーにより作品が蔓延して金銭的価値がどんどん低下する事が求められる文化。次の新しい刺激を得るために、少しでも古い者はどんどん捨てていくことを定義づけられた存在。
それに対してアート系は、作品そのものがコピーの出来ない「キャンバスに描かれた絵」であり、「造形された物体」です。それは作り込まれるのに要した時間そのもの。その作品を得るということは、作者が費やした時間を買う行為ともいえるでしょう。
どんなにアニメ的だ、オタク要素だと批判されても、その作品としての概念は全く違うものであり、はなから勝負するフィールドが違います。

ただ、作品集など紙媒体にコピーされると、それはすでに「消費されるための文化」になってしまいますし、オタクの私が買っているんだから学芸員さんの危惧も当たっているよなあ。確かに手に取りやすい、購入しやすいという部分は、値段の高いアート作品が一般の目に触れる手段として適していますし、作品を広く知ってもらう効果は高いでしょうね。

ああ、また「本物の」作品が見られる機会があるといいなあ。それまではこの画集で、鳥肌を立てながら楽しみたいと思ってますよ


マイクロポップの時代:夏への扉