休息の日。と愚痴

なんか、いろいろなしがらみを忘れるために、ガムシャラに入院生活をおくっていたような気がする。今日はゆっくりしよう。

なんで、こんなになったかなあ〜。
こっから先、愚痴と、これまでの経緯が書いてあるので閲覧注意












前に勤めてたのはリフォーム会社だった。現場の仕事だというのに営業の立場とされ、残業代は無かった。少ない人数だから、仕事を回すのが精一杯で、それには時間を費やすしか無かった。
現場を予定通りに回すのが仕事だった。複数の現場を一人で管理しなければならなかった。職人さんへの指示もたくさんあった。
営業の適当な見積もりを、現場に合わせて積算する仕事もあった。粗利重視なので職人さんや問屋さんに泣いてもらうのがほとんどだった。現場帰ってからひたすら積算していた。
過労が祟って体を壊したら、自分の管理が悪いと言われた。趣味も否定された。「そんなものに時間を費やすから体を壊すのだ」が社長の弁だった。
いきなり早朝から毎週2回会議をしよう!と早朝出勤を命じられることもあった。もちろん手当てはない。早朝出勤するからといって、手当てが付くわけでは無かった。
最後には、職人さんを教育せよ!と会社に呼んで会議を担当させられた。
研修に生かされたY浜の会社では、新人が発狂して飛び出して行ったことがあったそうだ。糾弾会議みたいのもあった。
社長も辛いのは分かっていたが、ある時コンサルの「この先会社を良くするのにはどうすれば良いか」の問いに社長の答えは「自分の寝る時間や余暇を仕事に回す」と答えた。絶望を感じた。それはそのまま、社員の余暇や寝る時間を仕事に回すとイコールに感じたからだ。
夜中、居眠り運転をよくするようになった。毎日夜中まで仕事をしてたせいだろう。途中で寝ないと事故を起こしそうなくらいフラフラな運転だった。ある日からは、「このままガードレールを突き破ったら楽になるのに」「対向車がぶつかってくれたらいいのに」という妄想が運転中に止まらなくなった。
辞める年、営業車の中で、急に狂ったように泣き出すようになった。ふらついて移動もままならない。泣き出すのは会社の中でも始まり、慌てて商品倉庫に移動して、這いつくばって泣いた。
結局、営業車での移動は無理とみなされた。
決定的なのは、会社に入ってるコンサルの研修会に休みに出ろの命令だった。体調的に絶対無理と社長に言ったら、「メンツがあるからダメだ!どうしても行かないなら医者の診断書をもらってこい!」の命令だった。この人は社員の健康より、自分の面子を優先する人だった。はじめて洗脳が解けた。
案の定、内科の検診では異常は無かった。そのため、「心療内科に行きます」と電話だけした。
しばらくは傷病手当てをもらっていたが、会社へ向かうと精神薄弱を起こすので、3ヶ月経って辞めた。
辞めたとたん、会社の人数が増えた。あれほど「マンパワーが不足している」と社長に訴えていたのに、辞めたとたん、現場の人間が増えた。なにか、タイミングの悪さを感じた。まあ、例え辞める前に人員が増えても、精神異常を引き起こしていたのだから、間も無く壊れただろう。
その後、適応障害、鬱、現在は双極性障害の疑いで隔離病棟入院。
怨みは…無いとは言えない。あれ以来世の中がシンドイ場所だと思い知らされ、その思いが抜けない。

これは、ブラック企業だったのだろうか。基準が分からない。もっと厳しいところもあるだろう。年収は350万くらいだったろうか。これは多かったのか、少なかったのかよくわからない。ストレス解消のため、ただ食い、趣味の物を集め、休日は布団から出れず、ゴミダメのような部屋にいた。貯金はストレス解消に使ってた。

まあ、こんな生活を2年前におくってました。
他の会社でシンドイ思いしてる方には、同じ目にあって欲しく無いと思ってます。