後藤俊幸 個展 [贅沢な脳]

会場入り口

2006.12.05(tue)→12.10(sun)

会場:ギャラリー「エディット」宮城県仙台市青葉区春日町5-27
公式サイト:http://re-bridge.or.jp/news/

会期中、展覧会に行く予定のある方は、この先を読まないでください。頂いていた告知の葉書にも詳しいことが描かれていませんでした。これは、たぶん作者さんの意図だと思います。実際、何の予備知識もなく会場入りした私は…ビックリしました。


後藤俊幸さんの個展。11月に麻生さんから、ちらっと紹介されたこともあり、伺うことにしてみました。
入ってすぐ、並べられた絵は…なんかこう、ムンクが大量にいるのかっ。と思ってしまいましたね。表情や輪郭がぼやかされてますが、確かに人の顔、そこにあるのは虚無か苦痛か…?なんて身構えてしまいました。

ちょいと軽いショックから立ち直って、よく見ると、絵からマイナスのイメージがわきません。すごくありのままに、ただたたずんでいる感じです。
ただ、表情がないので、その内面まで読みとることができません。

一通り見て、後藤さんに絵のことを訪ねてみると、「一つ一つ解説する事はできますが、それで見方が固定されてしまいます。お話しますか?」と逆に問い掛けられました。
さて、作者さんの内面をキッチリ知った上で見るのか、自分の感性だけで自由に見るのか…。そう言われれば、全てを分かった上で見るというのは、確かに見方の方向性が固まってしまい、非常に「もったいない」と感じます。
ここは一つ、種明かしはしない方向で見ていきましょう。

比較的目鼻の輪郭が見える正面の絵以外、その感情を知るすべはありません。ただ、何となく、不思議な距離感を覚えます。
右手側、5つの作品達「air complex」 等間隔に並べられた絵は、まるで電車の窓を外から眺めたよう。それも、ものすごく遠くの状況を、むりやり望遠で近くに見る時のような。
相手に対峙して、近くに感じるのに、相手に対して距離感を感じるような。

逆に見れば、相手から感じる明確な意志というか表情がない分、こちらから凝視できるような気もします。

場の空気を読み、相手の感情をみて対峙する。その複雑なプロセスが、人とコミュニケートするという行為の上で、脳を、贅沢に使っている?
輪郭や表情、見た目の綺麗さなどの明確なイメージ。それをあえて描かないことによって、場の雰囲気が……

なんだか上手くまとめることが出来ませんね。

ただ、絵の方は、こちらに関心を持っているのではないか…?そんな感じはします。都会の中を一人で歩いている時のような虚無感は無く、絵達は、こちらを向いてくれている。その表情が無いと言うことは、相手に合わせて自分を繕うことなく、ありのままでいられる状態にあるということ。作らず、繕わず、構えず。

人とのコミュニケートは難しい。高度に発達した脳の能力をフルに使う贅沢な、ある意味無駄なやりとりを簡素化できるなら…。人の表情を読み、その内なる感情を読み、適切な言葉で、波風立てず、表情を返し…。それが、表情が見えないと言うだけで素直に対峙できる。贅沢さを取り払った質素な脳になる瞬間。
それは、ある意味、リラックス出来る空間になっているんじゃないかなあ…と思います。
もちろん、これは私の感じ方。たぶん、これ以外にも沢山の正解があるのでしょう。だから、私の主観を信じないでください。それぞれ違った皆さんの脳が、それぞれの感じ方をするでしょう。
それもまた、脳の贅沢な使い方なのかも知れません。


後藤さんのご厚意により、会場の写真を撮らせていただきました。