サナ☆トリ:止めるためのきっかけも、誰かの姿だって事。


北九州で女子高生が自殺したそうです。ネット上の「死ね」の書き込みに過剰反応した見たいですが…。
どこまで責めれば、死に至る精神状態になるのか。それは人それぞれだと思います。
たとえば、責めの言葉を流れる水として、それをコップで受けているとします。コップの大きさは、性格や経験で違いが出るでしょう。その女子高生には、「死ね」の書き込みが、コップをあふれさせるほどの量だったのでしょう。

でも、あなたが「死ね」の言葉に影響されるように、あなたが今まで生きてきた中で、その言葉で、笑ったり、感謝したり、心配したり、時には怒ったりした人がいるはずです。
何気ない言葉で、誰かを笑わせたり、怒らせたり、悲しませたり。これ、凄いことです。
凄いことができるんです。
価値…があると思いませんか?

最後の一線を越える時、ふと、誰かの顔が頭をよぎったら。もし、その顔が、あなたの発した一言で笑ってくれた時だったのなら。

自分の思い通りに人生なんか進みません。ただ、誰かを幸せにする方法なら無限にあります。声をかけるだけでも十分です。
もしかしたら、その声かけが、その人の一生分の糧になるかも知れません。

これから出会うのは、地球総人口分の可能性です。50億人分の出会いの可能性が待っています。その人達になにか影響をあたえる可能性も残っています。
自分の人生に価値があることを実感する機会は、50億人分の出会いの数だけあります。

たくさんの人に出会って、コップを大きくしていって下さい。

                              • -

と。
だんだん脈絡が無くなってしまった。スイマセン。
少しブレーキを甘くすると、本来のネガティブ発想がストレートに絵に出るなあ。