NHKプロフェッショナル宮崎駿の回を見ました。

崖の上のポニョ、制作現場をなぞらえながら宮崎駿監督の仕事、スタンス、生い立ち等を紹介する…なんというか、生みの苦しみにいたたまれなくなる番組でしたね。
アニメーターとしての「動き」に関するこだわり。動作が生み出す必然性、ポニョ、宗介の触れ合い。その圧力を服の動きで表現する所など、普段の生活では気づけないこだわりが見られて圧倒されました。

どっかにあるはずなんですよ。探している線が。
こういう風にやればいいっていう位置があるはずなんです。

この言葉にハッとしました。これって、アニメに関わらず絵を志す人が常に感じている部分じゃないかなあ。「線」を別な言葉に置き換えれば、そのまま人生観にもなりそうな名言です。
想像の上にある線と、その線に与えるリアリティ。線はまがい物でも、動作は本物という矛盾した世界を悶々と生み出し続ける生活。そのモチベーションを保ち続けるのに費やす精神力は、てきとーに生きている私には想像つかないですねぇ。

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ポニョ公開当初から、キモイキモイと言われていたポニョ半魚人バージョン。インスマウス面だとか色々言われていますが…私はそんなにヘンだと思ってないですけどねぇ。
歳をとって、いろんな経験をして、この世に存在する物としない物。気味の良いものと悪い物が分かってきます。知識の蓄積によって感じ方には良いと悪いを振り分ける閾値が設定されていきます。ただ、5歳の宗介には(他の同年代の子供達も)その閾値が低く設定されているんだと思いますね。
私たちの場合。たとえばポニョが半魚人形態がメインと仮定すると、宗介達が10歳になり20歳になり物事を知り尽くしたときにどのような関係になるか想像し、その世界があまりにもグロいことに驚愕するんです。だからキモさを感じてしまう。でも、5年という短いスパンでの人生経験しかない宗介にとっては、気持ち悪い物として振り分ける為の前例が無い。たぶんヘンだとも思わないでしょうね。だから、今の瞬間、ポニョがスキだと言えるんだと思うんですよね。
ほら、私たちが小さかった頃。たとえば映画「E.T.」に出てきた宇宙人。アレ、当時の私は本気で友達になれると信じていましたよ。今思うとキモイしグロい造型なのに。
ポニョの半漁人形態が気持ち悪く感じるのは…大人の視点で見ているからなのだと思います。

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でも、ポニョ半魚人バージョンを可愛く描いてみるテスト。

う、やっぱ微妙…かなあ。この辺は画力の無さってことでカンベンしてくださいw